甘い甘い雨よ、ふれ

 私こと霧雨魔理沙は、アリス・マーガトロイドの事が大好きだ。
 彼女の澄んだ声に、綺麗な蒼い瞳。甘く揺れる髪、触れた指先の温もりに、不意に見せる柔らかな笑顔。そんな全てが好きで好きでたまらなくって、愛おしくって。
 気づいた時には、消してしまう事など出来ないくらいに大きくなっていたこの想い。そんな想いを自覚してから、数ヶ月経った。
 この数ヶ月間、ふとした拍子に思わず好きと伝えてしまいたくなっても、勇気が足らなくて何度も何度も言葉を飲み込み続けてきた。
 そんな私がちゃんとアリスに想いを伝えたいなって強く強く思ったのは、二人でのんびり読書をしていた昼下がりの事だ。
 真剣な表情で本を読むアリスの隣りに座って、本を読むふりをしていたそんな時。ふと気づいた、隣り合って座る私とアリスとの距離。
 以前は心地よかったはずのおよそ三十センチの距離が、なんだかすごくもどかしくって切なくて。
 もっと近づきたいって、素直に思ったんだ。もっともっと、アリスの傍に。知人・友人の距離じゃ、私はもう満足したくない。
 どうしたらいいんだろうと思った時に自然と辿り着いた答えは、この想いをアリスに告げる事。
 アリスに告白しようって答えを出したのは――今から三日前の事だった。 
「あー……」
 そこまで考えて、唸り声をあげながら自分のベッドでごろんごろんと寝返りを打った。
 そう、もう三日も経ってしまった。アリスに告白しようってちゃんと決めてから、もう三日も。
 アリスに会いに行って、好きだって告げる。たったそれだけの事なのに、いざ告白となるとなんだかアリスの家に行くきっかけが掴めない。
「困った」
 いや、本当に困った。思わず独り言を呟いてしまうくらいにはもう参っている。
 こうなったらもう、無理矢理にでも口実を作ってやろう。あれだな。米が尽きたんでご飯たかりに来ましたとでも――いやいや今から告白する奴がそんな間抜けな理由で家に行けるもんか。駄目だ駄目だ、そんな理由駄目だ!というかこの手の理由にしようと思ったの、何回目だよ私!なんかもう、アリスに言うだけなんだから話しに来ましたってだけでもいいんじゃないか?
「……いや、なんかあんまりかしこまった感じはちょっと無理だろ」
 おそらく私の精神力的な意味で、無理。
 こんな風にして一生懸命に頭を捻っても、うーうーと唸ってみても、一向に思いつかない口実。
 あまりにもお粗末すぎる今の自分の思考回路で行き着くのは、ただアリスに好きって伝えるだけでいいような気がするけど、なんかダメ。そんな感じの結論だけ。
 何度も繰り返す堂々巡りの自分の思考。なんだかあほらしくって馬鹿馬鹿しい気もするけど、それでもどうしてもループしてしまう。
 自分の事なのに、なんだかどうにも上手くいかなくて、もやもや、イライラだけが募っていく。
 どうにか切り替えようと、ひとつ大きくため息をついてみた。何やってるんだろ、私。
「あーあ……」
 もう一度寝返り打って、大の字にベッドに寝転がる。
(会いたいなぁ……)
 そっと目を閉じれば、浮かんでくるのはアリスの顔。それだけでなんだか切なくて、ぎゅって心が締め付けられる。
 そんな痛みから逃れたくって、気分転換でもと思って窓の外を見た。それなのに、あいにく今日は私の心と同じくどんよりとした空が見えるだけ。灰色で薄暗い雲を見ているだけで、なんだか気分が更に滅入ってくる。なんだよ、逆効果じゃないか。
「またこんな天気なのかよ、まったく」
 昨日も一昨日も、確かこんな天気だった。ここ数日、お天道さまの顔を拝んでいない気がする。
 まあ、そろそろ梅雨の時期だし、こんな天気が続いたっておかしくないんだろうけれど。
 わかっている。わかっているのに、なんだか馬鹿野郎って言ってやりたくなる。……ただの八つ当たりだってのも十分にわかっている。
 気晴らしついでにてるてる坊主でも作ってみようか。いや、私の気分も晴らして空も晴らせって、てるてる坊主にはさすがにちょっと荷が重いか。あ、てるてる坊主作ってくれよって口実はどうだろう?……いやいや、どこのちびっこの台詞だよ、それ。
 ため息が出る。もうこれ、今日何回目のため息だろう?
 なんだか部屋中の空気が自分のため息だけで出来ているような気までしてきて、ますます気が滅入ってくる。なんかもう、いっその事雨に打たれて濡れ鼠にでもなってこようか。風邪でも引いて看病してってアリスの家に押しかけるのもいいかも……――
「――って、それだ!」
 がばりと勢い良く跳ね起きる。駆け寄った窓の外をよく見れば、まだ雨は降り出してはいないようだった。
 さっきまでの憂鬱な気分はもうすっかり吹き飛んだ。
 急いで着替えて、いつもの箒と帽子を手に外へと飛び出す。
(雨よ、降れ!)
 そんな風に願いながら、ゆっくりと箒を前に進める。数分経って、ぽつりぽつりと頬に当たり始めた冷たい雫に、思わずよっしゃー!なんて叫び声を上げてしまった。
 私が思いついたのは、アリスの家での雨宿りさせてもらう事。
 作戦名は、『雨よ降れ。ついでに甘い雨も降れ大作戦』だ。

	◆ ◆ ◆

「よう」
 片手をちょいと上げて、玄関から顔を出したアリスにいつも通りの挨拶をする。
 少し遠回りをしてアリスの家についた頃には、すっかり私は濡れ鼠。びしょびしょになった衣服が気持ち悪いけれど、いい口実が出来たのだからそれでよしとしよう。
「ようって……こんな雨の中、傘も差さずに何しに来たのよ?」
 呆れ顔のアリスが、そんな事を言ってくる。まさに予想通りのリアクションだった。
「何って、見りゃわかるだろ?突然降られたから雨宿りだぜ」
「突然って……今日は朝からいかにも降りそうな空模様だったでしょうに」
「お生憎様、雨具は持ち歩かない主義でな」
「自慢しないでよね、そんな事……」
 大きなため息と共に吐かれたそんな言葉と同時に、玄関のドアが大きく開かれる。入れって意味だと受けとった私は、家の中へと一歩踏み出した。
「待った」
 それなのに、ドアをくぐった直後に待ったをかけられて。
 なんだよって非難の言葉をアリスに投げる前に、いつの間にか用意していたらしいふわふわな白いタオルを、ぼふんと顔に押し付けられた。
「おバカ。そんなびしょぬれのままで上がられたら、家の中が酷いことになるじゃないの」
 不機嫌そうな台詞とは裏腹に、優しい笑顔でアリスはごしごしと頭を拭いてくれる。私はそれをただ黙って受け入れて、そのまま硬直した。
 いつもよりも近い距離とタオル越しに感じるアリスの指先の熱に、どんどん鼓動が早まって、心音も五月蝿いくらいに大きくなっていく。
 アリスに聞こえてしまうんじゃないかって、ドキドキハラハラした。聞こえるわけ無いさって自分に突っ込みたくなるけれど、それでもどうしてもそんな風に考えてしまうのが乙女心ってやつで。
「はい、終わり。そうね、次はとりあえずその服脱いじゃって」
「うぇい!?」
 頭を拭かれたただけでもいっぱいいっぱいなのに、あんまり突然にアリスがそんな事を言い出すから。
 思わず一歩後ずさる。勢い余って背中がどんっとドアにぶつかった。痛かった。
「何よ、その反応?ほら、いいからさっさと脱いで」
「何故に!?」
「そのままの格好じゃ風邪引くでしょ?お風呂、今お湯張ってるから入っちゃいなさい」
「え。で、でも!こ、ここで脱ぐのか!?」
「そうよ。だってここで脱がなきゃ、家の中が濡れるじゃない」
 そんな事を言いますけどね、アリスさん。ここ、どこだかわかってます?玄関ですよ、玄関。花も恥じらうお年頃の乙女に向かって、こんなところで服を脱げって、それはちょっとないんじゃないですかね?いや、素直にお風呂はありがたいなって思うんですけどね、でもここで脱げってのは、流石に、その――
「ああ、もう!いいからさっさと脱ぐ!」
 あまりの事にぐるぐると目を回していると、痺れを切らしたアリスが私の服に手を伸ばしてきた。
「うわあああ!いい!いいから!自分でやるからー!」
 伸びてきたアリスの手を反射的に振り払って、そのままの勢いでがばりと上着を脱いだ。アリスから脱がされるよか、自分から脱いだ方がいくらか羞恥心は少なくてすむ。
 雨に濡れた自分の身体。寒かったでしょ、なんてアリスから声をかけられたけれども、なんかもういっぱいいっぱいすぎて熱いのか寒いのかさえもわからない。
 なんだよこれ。なんで告白するための口実だったはずの行動が、こんな事態を招いちゃってるんだよ。
「ほら、行くわよ。早くお風呂入っちゃいなさい」
 肌着とドロワーズだけになった私の手を取って、アリスは風呂場へと歩き出す。
 引っ張られるようにして風呂場に向かう私の意識は、繋がれた手に集中していた。
(手、あったかいなぁ……)
 何度か触れた事のある、アリスの手。柔らかくって、温かくって、なんだかすべすべしていて心地よくって。
 ずっとずっと、こうしていたい。ちゃんとアリスに好きって伝えたら、こうしていられるのだろうか?
 いやいや、でもその前に。
(アリスの奴が、私の事好きじゃなきゃダメなんだよな)
 そんな当たり前の事、なんだかすっかり頭から抜けそうになっていた。
 そうだよ。私だけの一方通行な想いじゃ、いくら沢山の事を願ったところでどうしようもないんだよ。
「魔理沙?」
「え?」
 名前を呼ばれて我に返る。気づけば、風呂場の前についていた。玄関からそう距離はないんだから、すぐ到着して当たり前なんだけれども。
「どうしたのよ、ぼーっとして。そんな格好で突立ってたら、本当に風邪引くわよ?」
「え?ああ、うん」
 生返事をしながら、アリスの顔をぼーっと見つめる。
 なんだか急に不安がこみ上げてくる。というか、なんでこんな重要な事忘れてたんだろう?
 いや、忘れていたわけじゃあないんだよな。ただ――
「――何かあったの?」
 アリスのそんな言葉に、思わずビクンと身体が跳ね上がった。
 あ、バカ。自分のバカ。アリスがいるのに、なにぼんやり考え事してるんだよ。こんなんじゃ、アリスに不審に思われて当然じゃないか。
「なんでもないぜ」
「でもあんた、なんかさっきから……」
「さ、風呂だ風呂!誰かさんから脱がされたせいですっかり身体が冷えちまったからなー」
 アリスの言葉を遮るように声を重ね、急いで脱衣所に入ってドアを閉めた。すごくわざとらしかったけれど、それでもあの空気の中にいるよりはマシだろう。
「あー、もう……本当、バカだなぁ」
 ぽつりと呟いたその言葉は、一人きりの脱衣所に妙に響いた。

	◆ ◆ ◆

 風呂から上がった私を待っていたのは、アリスの作ったご飯の誘惑だった。
 いい匂いに釣られてキッチンへと向かえば、そこには人形と共に昼食の準備をするアリスの姿。
「おお、ご苦労さん。で、本日のメニューはなんだね?」
「なんでごちそうになる立場のあんたがそんなに偉そうなのかはすごく疑問なんだけど、とりあえず今日の昼食はじゃがいものキッシュよ」
「へー。よくわからんがおいしそうな匂いがするな」
「よくわからないのにおいしそうなの?」
 そう言って、アリスはくすくすと笑い始めた。
 そんなアリスの様子に、ほっと胸をなでおろす。良かった。どうやらさっきの私の行動は、見なかったことにしてくれるみたいだ。
「ほら、もう少しで出来るからリビングで待ってなさい。その間にちゃんと髪の毛拭いておくのよ」
「へいへーい」
 うるさいなー、なんて思いながらも、勝手に緩んでいく頬の筋肉。なんだかんだで、構ってくれるのが嬉しくってたまらない。
 そんな私のニヤケ顔が見えないように、アリスの位置からは死角になるソファーにとすんと腰掛ける。そしてそのまま、首に掛けていたタオルでわしゃわしゃと乱暴に自分の髪を拭いた。髪を拭く音に気づいたのか、続き部屋になっているキッチンの方から、あんまり髪の毛落とさないでよー、なんて声が聞こえてきた。なんだか妙に可笑しくって、くつくつと笑う。
「なーに笑ってるのよ、あんたは」
「いや、何でもない」
 料理を運んできたアリスが怪訝な顔をしてそんな事を尋ねてくるから、適当にごまかした。
 変な奴、なんてぶつぶつ言いながら、アリスの運んできた料理がテーブルの上に並んでいく。
「はい、これあんたの分」
「お、サンキュー」
 綺麗に切り分けられたキッシュを一切れ載せた皿と箸を受け取って、はたと気づいた。
(なんで、箸?)
 箸。
 それはアリスの家では滅多に使用されないもの。普段から洋食派のアリスにとって、全くと言っていい程に縁のないものだ。
 なぜそんなものがここにあるかといえば、私が鍋やろうぜって押しかけた時に持ってきて、そのまま置いていったものだからだ。つまり、これは私がアリスの家に放置していって、ほこりをかぶっていた箸なのである。いや、実際はちゃんと綺麗だけどさ。
「なあ、なんで箸?」
「なんでって……その方が食べやすいでしょ?」
「いや、別にフォークでかまわないさ。いつもそうだろ?」
「でも、前に和食は箸で食べなきゃ邪道だって私に怒ったじゃない」
 いや、まあ、確かに。前にそんな事、鍋をフォークやらスプーンやらでつつこうとしたアリスに言ったけれど。
「……今日の昼食は洋食に見えるのだが?」
 そう。私の皿にのっている料理は、どこからどう見ても洋食に属する料理のはずだ。
 外側の、さっくりとしたパイ生地。ふんわりとした卵ベースの生地からひょこりと顔を出すじゃがいもとベーコン、おまけでたまねぎ。その上に乗った、こんがりきつね色をしたチーズからは、香ばしい匂いがしてくる。ほら、やっぱりどう見てもこれ、洋食だ。
「持っている皿の上だけじゃなく、テーブルの上もきちんと見なさいよね」
 本気で意味がわからないと言った風に首を傾げている私の様子に呆れながら、アリスはテーブルの上を指す。
 促されるままにテーブルの上を見やれば、そこには他にも何品か料理が並んでいた。
「ポテトサラダ、白いスープ、ベーコンとじゃがいもの炒めもの……じゃがいもの煮っころがし的な何か?」
 ああ、和食ってこれをさしてたのか。でもこれ、なんかバター的な香りがするんだけどな。
「……じゃがいものスープとジャーマンポテト。じゃがいものバター照り煮、よ。和食っぽいものなんて滅多に作らないから、お口にあうかどうかわかりませんが」
 ほう、バター照り煮なんてあるのか。洋食と和食の合わせ技ってところが、なんかアリスらしいというかなんというか。
 それにしてもじゃがいもだらけだなって突っ込みを入れたくなるような昼食だ。まあ、時期的に新じゃがでも貰ったからってところだろうけれど。
「いや、全部うまそうだぜ?どれ、まずはそのバター照り煮とやらをひとつ」
 皮付きのまま丸ごところんと煮てあるらしいそれを、ひょいっと箸でつまんで自分の皿に載せる。一口大くらいのそれは、煮崩れするわけでもないし、別にこれ、フォークでも良かったのに。妙なところで律儀なんだからさ、まったく。
 心の中でそんな憎まれ口を叩きながら、ぱくりと一口。ふわりと広がる、バターと醤油のいい香り。しっとりとした口当たりに、ちょうどいい感じの塩加減。
「うまい」
 素直に一言、それだけがこぼれ落ちた。もっと気の利いたこと言えればいいのに、それ以外に言葉が見つからない。
「そう?」
「うむ、良い感じだ。また今度作ってくれよ」
「自分で作ろうって気はないわけ?」
「だってアリスが作った方がうまいだろ?」
 へへっと笑いながらそんな事を言えば、返ってきたのはしょうがない奴ね、なんて言葉と優しい笑顔。
 どきっとまた、心臓が跳ねる。普段はつんとすましてるような態度を取るくせに、不意にこんな顔を見せるから、私は。
「さ、さーて!他のもごちそうになるかな!」
 そんなアリスの笑顔から逃れるように、食べる事に集中しようとした。それなのに、なぜだか意識がアリスの方へいってしまう。
「うまいなー!おお、これもうまい!今日の昼飯は最高だな!」
 そんな自分をどうにかしようと、一生懸命に料理に集中している振りをしているのに、アリスの視線は私から離れてくれない。たったそれだけで、美味しいはずの料理の味が全然わからなくなってくる。
「な、なんだよ?」
 とうとう耐え切れなくなって、食べる手を休めてアリスに聞いてみた。
「ついてるのよ、そこ」
 そう言って指されたのは、左の頬辺り。夢中になる振りに夢中で全然気づかなかったが、確かに言われてみれば微かな違和感があるような気もするような。
「さんきゅ」
 そう言って左頬の辺りを軽く拭ってみた。でも、それだけでは違和感は取れなくて。
「あれ?」
「もう、そこじゃないわよ」
 そんな言葉と同時に、首を傾げる私の頬をアリスの左手が拭っていく。
(な……っ!)
 全身の血が一瞬で沸騰したかのように、ぼわっと自分が熱くなるのがわかった。
 思わずアリスの手が触れた左頬を押さえ、そのままの状態で固まってしまう。
(今、この人、何をしたの!)
 ついでに思考もフリーズした。同じフレーズが、ぐるぐる頭の中で回っている。やばい。お風呂ではのぼせなかったのに、なんで今、こんなにのぼせてるんだ、私!
「魔理沙?」
 真っ赤になって硬直している私の様子を変に思ったのか、首を傾げているアリス。
 いやいや、私の反応はきっと何も間違ってないぞ!だって今のは卑怯だ!卑怯すぎる!
「ちょっと、聞いてる?」
「聞いてるさ!うまいな、これ!」
「聞いてないじゃないの、全然!」
 お互い意味もなく大声を張り上げた。
 数秒の沈黙。何やってるんだ、私達。
「……なんで私まで叫ばなきゃいけないのよ」
「……知らんさ。そっちが勝手につられたんだろ」
「だって、魔理沙が変だから」
 トーンの変わった、アリスの声。先程までの声色とは違う、心配そうな色のにじんだ声。
 よくよく考えてみれば、この煮物もどきだって私の事を心配して作ってくれたものかもしれない。
 何も聞かず、ただ少し元気を出して欲しいなってくらいで、急遽慣れない和食もどきを作ってくれたんじゃないかと期待してしまう。
(……参ったな)
 こうしてまた、私はアリスに恋に落とされて。
 こうやって繰り返すのは、一体何度目なのだろう?きっともう、数え切れない回数になっているはずだ。
「ねえ、本当に何かあったの?毎日押しかけてくるあんたが三日も来なかったし」
「なんだよ、私に会えなくてアリスちゃんは寂しかったんですかー?」
「人が本気で言ってる時に、ふざけないで」
 真剣に、私の事を考えて。こうやって、ふざける振りをしている私に本気で怒って。
 ああ、もう、どうしようもなく。
(大好きだよ、お前が)
 そんな言葉を飲み込んで。代わりに出たのは、情けない笑顔だった。
 口元は無理やり笑っているのに、なんだかすごく泣きたくて。
 だって、しょうがないじゃないか。伝えに来たはずの言葉を飲み込む自分が、すごく情けないんだよ。
 アリスがじっと、私の方を見つめている。
 きっと私の言葉を待っているんだろうななんてわかっているのに、うまくはぐらかす言葉が見つけられず。かといって、さっき飲み込んだ言葉を言う気にもなれず。
 結局私は、黙り込んだままアリスの方に向けていた視線をすいっと横に逸らす。
 それでも感じるアリスの視線。きっと何か言うまで、もうこいつは私を逃してくれない。
 ねえ、アリス。
 さっき風呂場で、三日間考えないようにしていた事をちゃんと考えてみたんだよ。
 あなたが私の事、どう思ってるのかって、そんな事。
 伝えるだけでは意味のない事だという現実から逃げたくて、考えないようにしていたそんな事。
 でも、いくら考えても答えは出なかった。
いつだってそっけない態度をとるあなた。
 でも、時折こうやってみせる優しさはどんな意味を持っているのが計りきれなくて。
 知ってるんだよ。なんだかんだで、結構面倒見のいいあなたの事だから、きっとこの優しさは私にだけ向けてくれるものじゃないとわかっているに。それでもどうしても、私には都合の良い方にしか捉えられなくって。
 違うと言い聞かせようとするのに、期待に膨らんでしまう胸。誰に対しても同じなのだと感じる度に、勝手に沈むわがままな私の恋心。
 こんな身勝手な恋、あなたに伝えていいものなのだろうか?
 答えの出ない、そんな問い。答えに向かおうとしていたのに、すっかり迷子になってしまった私の心。でも。
「私は寂しかったぜ」
 真剣さが伝わりますようにと願いながら、視線をアリスの瞳に戻して、じっと見つめて。
 自分の本心を、まっすぐに投げつける。
「アリスに会えなくて、すごく寂しかった」
 考えたところで結局わからないのならば。答えなんて、出ないのならば。
 結局、この想いをストレートにぶつける方法しかないじゃないかって、そう思ってしまうから。
 しばらくの沈黙。しーんと静まり返った、アリスの家。聞こえてくるのは、屋根や窓を叩く雨の音だけ。
 じっとこちらを見つめたままのアリスの瞳が、大きく見開かれていて。視線を逸らす事も出来ずに固まっている私の手は、じっとりと汗ばんでいる。
 今の言葉、結構ギリギリな所を掠った気がする。あ、きっとこれ……私の気持ち、バレた。
 沈黙の流れる時間に比例して、どんどん恥ずかしさと居辛さが増していく。ついでに冷や汗の量も、増していく。

 今、何分経ったんだ?いや、多分まだ数分も経ってない気がする。あ、駄目だ。もう駄目だ。このままじゃ私、もっともっと駄目になる。
「いただきます!」
「ひゃっ」
 耐え切れなくなって、声を張り上げた。驚いたアリスが、少しばかり声を上げる。ひゃって、なんか可愛いな。
 そんな事を考えながら、唖然としているアリスを横目に自分の皿に盛ってあった料理を急いで平らげた。
「ごちそうさま!よし、帰る!服は借りてくぜ!」
 早口にそう捲し立て、走った。
 後ろからアリスの困惑する声が聞こえた気がしたが、もう無理。耐え切れない。ごめんなさい。
 まだぐっしょりと濡れている靴を履いて、水分を吸って重くなった箒を担いで、雨の中外に飛び出した。
「魔理沙!」
 後ろからアリスの声がかかる。聞こえない振りをして、飛び上がる。
「……ごめん」
 聞こえるはずもない謝罪の言葉は、雨の音に紛れて消えた。

	◆ ◆ ◆

 あの日から、一週間経った。
 勿論あの日とはアリスの家から逃げ出したあの日で、告白するのに失敗したあの日である。
「はぁぁぁ……」
 大きな大きなため息が出た。駄目だ、思い出しただけでもうこのまま消えてしまいたくなる。
 きっと確実に、この家の空気は全部私のため息でできているだろう。そのくらい、この七日間でためいきをついた。
 気晴らしに外に出かけるのもいいかもししれないが、お生憎様、今日もまた空はどんよりと暗い雲で覆われている。
(なんかもう、あの雲も私のためいきで出来てるんじゃないか?)
 そんな馬鹿な事を考えて、自分でないわーって心の中で突っ込んで、更に凹んだ。何やってるんだよ、私。
 もういっその事、ずーっと雨が降っていてくれればいいのに。じめじめとした今の私には、似合いすぎるくらいに似合うはずだ。ついでに自分にきのこが生えちゃいましたっていうのなら、もっとお似合いなんだけど。
 そんな馬鹿な事を考えていた、その時だった。
「魔理沙、いる?」
 コンコンコンッというドアノッカーの音と共に聞こえてきたのは、アリスが自分の名を呼ぶ声。
 思わずガタッと音を立てて座っていた椅子から飛び上がった。
(え、幻聴?)
 いや、だってありえない。アリスが私の家を訪ねてくるなんて、そんなそんな。年に何回もないイベントが今発生しているだなんて、ありえるわけがない。
「魔理沙ってば!いるんでしょ?開けて」
 やっぱり聞こえた。玄関の方から、聞こえてきてしまった。
 恐る恐る、ゆっくり物音を立てないようにしながら玄関の方へと向かってみる。叩かれ続けるドアと、自分の名を呼ぶアリスの声は確かにドアの前から聞こえてきているようだ。どうやら、ありえないはずのイベントが、本当に今、発生しているらしい。
 正直、今はまだどんな顔をして会えばいいのかわからなかった。
 大丈夫だ、まだいることはバレていないはず。このまま居留守を使ってしまえば――
「いることはわかってるのよ。さっき、何か倒したでしょ?ちゃんと聞こえたわよ」
 あまりのタイミングに、思わず背中にぞっとしたものを感じた。
 アリスさん、まさか私の声が聞こえるんですか?
「開けてくれないならこのドア、壊すわよ!」
「わー!まてまて、早まるな!今開けるから!」
 物騒な言葉が聞こえてきたから、思わず反射的に声を上げてしまった。
「やっぱりいるんじゃない」
「あ」
 しまった。謀られた。
(ひ、卑怯な手を使いやがって……!)
 断固抗議してやる!卑怯者めって、抗議してやる!……とはいえ、そんな事今更言ったところでどうしようもない事は流石の私でもわかっているわけで。
 しぶしぶ玄関のドアを開ける。ソコには仁王立ちしたアリスがいた。
「あんた、自分が他人の家を壊すのはいいくせに壊されるのは嫌なのね」
「なんだよ、今はちゃんと玄関から入るじゃないか」
「それは私がドアを開けてあげるようになったからでしょ。この強奪魔」
「失敬な!借りてるだけだ、奪ってはないぜ」
「はいはい、言ってなさい」
 なんだ、案外普通に話せるじゃないか。よくやった、自分。今からも頑張れ、乗り切れ、自分。
「で、何の用だよ?」
「その前に、お茶の一杯でも出すのが礼儀じゃない?」
「あー……今家の中が散らかってて……」
「あなたの家、散らかってない時なんてあったの?」
「……まあ、それはその」
 アリスの言葉に、言い返す言葉が見つからず。結局そのままアリスを家の中に招き入れる。リビングに通したところで、その惨状を見てアリスが大きなため息を吐いた。
「い、言っとくがな!これは散らかってるんじゃなくて、物が置いてあるだけだぞ!どこに何があるかくらい、わかるんだからな!」
「さっき散らかってるからって言ってたわよね?」
「……言ったような、言った覚えがないような」
 もう言い訳さえもダメダメだった。
 肩を落としながら台所に向かってお茶をお淹れる。もうすっかり、アリスのペースだった。
(まあ、一応いつも通りに話せてるしいいか……)
 そんな事を考えながらリビングに戻れば、私の読書スペースが二人で並んで座れるくらいに拡張されていた。
「粗茶ですが」
「ありがと」
 にこりと微笑んで湯のみを受けとったアリスに、また少しときめいてしまう。今、そんな場合じゃないのに、バカか私は。
 ずーっとお茶をすすって、心を落ち着かせようとする。とりあえず、今はアリスの話を冷静になって聞かなきゃいけない。
「で、なんだよ?わざわざ家に来るなんて、よっぽど大事な用事なんだろうな?」
 何も悟られないように、わざと嫌味っぽい言葉を選んだ。迷惑だから早く帰れよってまで言おうかと思ったけれども、あまりにも心にもなさすぎて言えなかった。
 だって本当は、わざわざ訪ねてきてくれたってだけでどうしようもなく嬉しい。
「そうね、大事な用事よ。あなたに大事な話があるの」
 聞きたくない。
 反射的に、そう思った。
 思わず、ぎゅっと湯のみを持つ手に力が入る。今すぐ、ここから逃げ出したい。でも、ちゃんと聞かなきゃいけないんだ。
「あのね、魔理沙……」
 ぎゅっと、目を固く固く目を瞑る。
 大丈夫。何を言われても、いつも通りにきっと頑張れる。

「お茶菓子が、無駄になるのよ」

 湯のみを落としそうになった。
「……は?」
 なにその話。どこらが大事な用事なんだよ?というか、そんな話私にしてどうしろっていうんだよ?
「なによその顔。あのね、お茶菓子が無駄になるのよ?おかげで我が家の家計に大打撃よ。食べられるなら無駄にしないですむそのお茶菓子、捨てるしかないなんて……」
 アリスが大げさにため息をついてみせる。
 なんだよその演技じみた微妙な話と突っ込んでやる事さえも忘れ、ただただ呆気にとられる私を見て、アリスはムっとした表情を浮かべる。
「何ぼんやりしてるのよ?原因はあなたなんだから、ちゃんと反省しなさい」
「は!?私のせい!?」
 なにその言いがかり!意味がわからん。てか本当、どこらが辺が大事な話だって言うんだよ、これ。
「そうよ、あなたのせい。あなたがウチに来ないから、いけないのよ」
 急に真剣になったアリスの声に、思わず私は何も言えなくなって。
 じっとこちらを見つめてくる、アリスの瞳。その瞳に魅入られて、私の身体は甘く痺れるかなしばりにあってしまう。
「三日会わないだけで寂しいって言ってたくせに、一週間も誰かさんが来ないから。毎日作ってるお茶菓子が無駄になっちゃうのよ、バカ」
 つまりこの一週間、毎日持て成す準備をして待っていてくれたって事でいいんだろうか?
 待っても待っても来ない私に痺れを切らして、会いに来てくれたって事でいいんだろうか?
「だから、ちゃんと来なさいよね。お茶菓子、無駄にしないで」
 アリスも本当は寂しいって思ってくれてたってことで、いいんだろうか?
「……うん」
 聞きたい事は沢山あるのに、何から聞いていいのかさっぱりわからず。
 とはいえ、込み上げてくる言葉を飲み込んでしまうことも出来ず。
「なあ、アリス」
「なによ?」
 若干むくれている風なアリスが、なんだか妙に可愛くて。
 もし、許される事なら。このままぎゅっと、きつくきつく抱きしめてしまいたいけれど。
「もしかして、私の事好きなのか?」
 それは、この問いの答えを聞くまで我慢する事にしよう。

	◆ ◆ ◆

 どくんどくんと早鐘を打つ、自分の心音だけが聞こえている。
 目を見開いて動きを止めたアリスの顔をじっと見つめ、逸る気持ちをぐっと堪えて、アリスが口を開くのを待っていた。
「……えっと」
 アリスの口が、開いた。
 もうこれ以上はないってくらいに早鐘を打っていたはず心臓が、ますます元気に跳ねまくる。ドッドッドッという音が、頭の中で五月蝿いくらいに響いている。
 大きく大きく期待で膨らんだ胸に、少しずつ不安の影が差してきて。
 次の言葉を、早く。そうしないと、今にも私は狂ってしまいそうだ。
「別に、そうでもないと思う」
 その言葉に、大きく膨らんだ私の胸はパーンっと弾け散った。ついでにそのまま、身体も崩れ落ちる。
 振られたわけじゃない事はわかってるけど、ちょっとこれは、ダメージが大きい。
「あ。降ってきちゃったわね」
 そんな私をよそに、アリスは呑気に窓の外を眺めていて。あーあ、なんて落胆の声を上げている。あーあ、はこっちの台詞だよ、本当に……。
「仕方ないわね。雨が止むまで、掃除していってあげるわ」
 アリスはおもむろに立ち上がると、そんな事を言い出した。
「……は?」
 いや、出来れば今はちょっと一人にしておいて欲しい気分っていうか。すいません、アリスさん空気読んでくださいお願いします。
「あー……さっきも言ったがここは散らかってるんじゃなくて、私だけがわかるように物が配置してあってだな……」
「はいはい、言い訳はいいから。大丈夫よ、誰かさんみたいに勝手に物を持って行ったりしないから」
「いや、別にそんな心配はしてないんだけどさ……」
 私の事など完全に無視して、アリスは少し離れたところから部屋の片付けを始める。おいおい、家主が許可出してないのに強制掃除ってのもいかがなものなんだ?
(……ん?)
 もう諦めるしかないかなんて、ぼんやりアリスの方を見ていて、ふと気づく。
(……なんか、アリスの耳、赤くないか?)
 よくアリスを観察すれば、片づけると言っているくせに、一回右に移した本を左に移してみたり。
 無駄にせわしなく動いて、積みあげていた物を倒してみたり。
 どこからどうみても、これは。
(……まずい)
 あまりの事に、思わず手で顔を覆い隠す。
 どうしよう、涙が出そうなくらい、今嬉しいかもしれない。
「アリス」
「なに?」
「なあ、アリスってば」
「だから、なによ」
 いくら名前を読んでも、こちらを向こうとしないアリス。
 可愛くて、嬉しくて、堪え切れなくなって思わず駆け寄って。
「アリス!」
「きゃっ!」
 思い切り、後ろから抱きついた。
「ちょ、ちょっと!邪魔になるでしょ!?」
 非難の声を浴びせられたけど、抱きしめる腕を振り解こうとはしないアリスが、どうしようもなく愛おしい。
「へへっ」
「な、何よ。気持ち悪いわね……」
 いつもならずんっと凹んでしまいそうなそんなアリスの言葉さえ、今は嬉しくってたまらない。

 アリスに抱きついた格好のまま、そっと窓の方を見る。
 しとしとと降り続けるこの雨に、思わず願った。
 どうかどうか、しばらく雨が降り続きますように。
 この幸せな時間が少しでも長く続きますようにと、そんな風に。

 甘い甘い雨よ、ずっとずっと降り続け。 

End.

2016.5.16. up.

第九回博麗神社例大祭にて配布した『Rainy Day 〜雨のち晴れ〜』の本文となります。
再配布予定が無いため、掲載させていただきます。

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通り雨

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