其の世で君は 何想ふ






「そろそろ起きてください」
 
式の、声がした。
 
言葉は届いている。
だが、意識はまだ暗闇の中にあってどこかがはっきりしない。
 
ここは境界。
 
現と、幻の、境界。
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
 
 
 
 
 
 
神社の桜は今年も美しい。
 
隙間妖怪は思う。
 
ああ、今年もここで桜が見れたのだ、と。
 
「紫ー?なにやってるのよ、早く来なさいよ」
 
紅白の巫女の、呼ぶ声がする。
 
その声に一人くすりと笑い、その下へ。
 
「あら、霊夢がわたしを呼んでくれるなんて嬉しいわー。待ちに待ったデレ期がやっときたのね」
「何馬鹿な事言ってんのよ?いいからほら、早く注いで!」
 
どうやらすっかり出来上がってしまっているらしい。
隣にいる鬼に視線を向ければ、苦笑い。

「はいはい、あまり飲みすぎはダメよ?」
「なーに保護者面してんのよ。大体ねー、あんたが来るのが遅いから───」
 
くどくどと始まるいつもの愚痴に、適当にはいはいと相槌を打つ。

霊夢は酔いが回りすぎると絡み酒になる。
 
これは幻想郷の常識……とまでは行かないが、少なくともこの神社で行われる宴会に参加したものなら大体皆知っている。

犠牲者と言えば大抵この隙間妖怪。
稀に、黒白の魔法使いや鬼、吸血鬼とかそこいらである。
まあ、前者はそれが嬉しいと感じている節があるのではないかともっぱらの噂であるが。
 
「とにかくねー、あんたはいつでも来るのがおそーい。私の事を怠けすぎだのなんだの言う資格は絶対なーい」
「あら、それは心外ね。いつでも妖力は使っているのよ?藍を通じてだけど」
「それが怠けてるって言ってんのよ。第一ねー、らんらんらんらんって藍に頼りすぎなのよ。あんたちょっとは自分で働きなさいよ」
「あら、霊夢ったら……や・き・も・ち☆」
 
その言葉と同時にツンっ、と霊夢の頬を指で突く。
 
「ばっかじゃない?」
 
返って来たのは、冷たい視線と言葉だけ。
 
まあ、そんな霊夢だからこそいいのだけれど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「紫様」
 
これは藍の声。
理解はしていた。
だが、返事をする気が起きない。
 
「もうそろそろ、起きられてはいかがでしょうか?」
 
駄目よ、藍。
 
私はまだ、寝ていたいのだから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「いい加減起きてください、紫様」
「おふとんがわたしをはなしてくれないのよぉー」
「じゃあ私が引き離して差し上げます」
 
そういうと藍は無情にも布団を取り上げる。
コロン、と紫は畳に転がる。
 
「ああ、お布団様ー……」
「馬鹿な事言ってないで早く食べちゃって下さいよ。せっかく作った食事が冷めてしまいます」
 
よよよ、と泣き崩れる主人をスルーし、藍はてきぱきと布団を片していく。

「もー、藍はなんでそんなに冷たく育っちゃったのかしら。そんな子に育てた覚えは無いわー」
「しっかりしなければと思いながら育った覚えはありますがね」
 
ああ言えば、こう言う。
そんな言葉が似合う式になってしまったのはなぜかしら。
そんなことを思いながら渋々起き上がり、食卓へと向かう。

「あら、今日は随分と質素ね」
「そりゃそうですよ。これから宴会だっていうのに、いくら紫様でもそんなに食べたら身体壊しますよ?」

お茶を差し出しながら藍はそんな事を言う。
宴会……そうか、博麗神社の花見だった。
 
「藍は行かないの?」
「ええ、今日も留守番させていただきます」
「そう」
 
二人きりの食卓は静かだった。
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
 
 
 
 
 
「えー、本日は絶好のお花見日和となりまして……」
「なんの挨拶だよそれー!」
「早く乾杯しろー!」
「ていうかあなた、もう出来上がってるんじゃないの?」
 
音頭を取るは今回の幹事、黒白の魔法使い。
ちゃんとした挨拶をしようと言うのにいつもこうやって茶々を入れられる。
 
「ええい!うるさい連中だなー!もういいや。とにかくかんぱーい!」

かんぱーい、と皆の声が重なり、宴が始まる。

今日も変わらぬメンバーが騒ぐ、騒ぐ。
飲めや歌えやの馬鹿騒ぎ。
そんな喧騒の中、紫は一人静かに盃を傾ける。
今日は、そんな気分。
 
「紫ー?なにあんた一人でしんみりしてるのよ」
 
ひとりそんな気分に浸っていると、後ろから声をかけられる。
振り返った先に居たのは紅白の巫女。

「あら霊夢。あなたもあっちに混ざっていればいいのに」
「あんな五月蝿い所いたく無いわよ。あんたこそ、いつもはあっち組でしょ?」
「あら。私だって静かに飲みたい時もありますわ」
「あっそ」
 
それだけ返すと、霊夢が隣に腰掛ける。
 
二人でしばらく喧騒をつまみに酒を飲み交わす。

「ところであんたの式は?最近ずっと見ない気がするんだけど」
「……あの子はここ最近ずっと家に引きこもってるわ」
「ふーん」

霊夢はそれ以上追求することなく、盃を傾ける。
そんな霊夢に微笑を返しながら、紫は思う。

この桜が、散るまでは、ね。



わかっている。
これは自然の摂理。逆らいようの無い事。

境界を操る程度の能力を持つ私でも、操れないもの。

 
 
 
  
いずれ宴は終わる。
永遠に続く宴など、ないのだから。

そんなことなど、わかっている。
 
 
 


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
 
 
 
 
 
「藍様、いい加減起きてくださいよー」

二度目のその声に、ようやく妖怪狐は目を覚ます。
 
「おはよう、橙。私があちらに行っている間、変わりは無かった?」
「ありませんでしたよー、多分」
 
ニコニコとそういう自分の式を見、ため息をつく。
どうせまた結界の見回りを放って博麗の巫女達とでもじゃれて居たのだろう。
 
もしこの子が式を持つとしたら、多分自分の主と同じように仕事を式にやらせるようになるんだろうなと思う。
なんで自分に似なかったのかと、悲しくなってくる。
やっぱり甘やかしすぎたのか……。


 
紫様、か。


 
隣の部屋へと繋がる襖を見やる。
その襖の向こうで、主は今も眠っているのだろう。
 
 
 
いや、起きていると言うべきなのか。



そんな風に、藍は思いなおす。



今の主にとって、あの幻の世界が現なのであろう、と。
 
 
 
きっとあの世界は自分が無意識に作り上げてしまった幻だなんて、もうとっくに主は理解しているはずだ。
それでも尚、引きこもっているのだ。
 
 
 
あの人間達が生きた時代から、主は離れられなくなってしまっているのだ。
自分が愛したあの紅白の巫女の幻から、主は離れられないのだ。



いつの日か終わる宴を何度も繰り返しながら、主は今日も幻の世界へとどまり続ける。
 
 
 
所詮、幻は幻に過ぎないのに。 

 
 
ふっ、と藍は自嘲をもらす。
ここまでわかっているのに、何故自分は甲斐甲斐しく幻想の中でさえ主に尽くしているのか。
命を受けたわけでは無いのだ。放っておけば、いいのに。

主は、選んだのだから。

紫様は、私達という現実より、霊夢という存在がいる幻を選んだのだから。


 
「……そんなにあの巫女が大事だったんですね」
 
ポツリと、言葉が零れ落ちた。
 
「藍様?」
「いや、なんでもない。さあ、橙がさぼった結界の見回りでもしてくることにしよう」
「サボってなんかいませんってばー」
 
式と、式の式は部屋を後にする。
 
 
 
ああ、そうだ。

今年の桜の季節も、もう終わる。

桜が散る前に、久方ぶりに花見でもしようか。

あの頃とは違う、少し寂しくなった旧友たちを集めて。
あの頃にはいなかった、新しい友たちも呼んで。

あの頃とは違う、宴を始めよう。



そんな事を、式は思った。





inserted by FC2 system