空に願いを。<後>




夜が明ければまた一日が始まる。
君のいない日常に、いつでも君を想う。
 
 
 
 
霧雨 魔理沙は今日もアリス宅の屋根の上にいた。
今日も星が綺麗に瞬いている。
いつだったか星の形を模した弾幕を思いついたときも、こんな空だった。
 
何も変わらないもの。
何一つ変わらないもの。
それが星空なんではないかと、私は思う。 
いや、正確には変わっているのだけれども。
わずか過ぎて、人間である私は肉眼ではわからない程度だ。
 
ふと、帽子の中のものを思い出して取り出す。
 
それは彼女のくれた人形。
私の形を模した小さな人形。
 
いつだったかくれたもので、つい最近部屋の中に転がしておいたものだ。
彼女がいなくなってからずっと持ち歩いている、大切な人形だ。
 
『魔理沙』
 
その人形を見つめ、もう呼ばれなくなった自分の名を思う。
 
『魔理沙』
 
もう見られないその笑顔を、想う。
 
 
 
 
 
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
 
 
 
 
 
「で、最近のやつの事どう思う?」
 
尋ねたのは、楽園の素敵な巫女、霊夢。
 
「どうも何も……今日も商品を持って行ったさ。取り返してきてくれ」
 
答えるは、香霖堂店主、霖之助。
 
「嫌よ、面倒だもの。それに別にいいでしょ、ここは香霖堂だもの」
「……君も魔理沙と一緒にブラックリストに載ってる事を忘れていたよ」
 
そう言って霖之助はひとつため息を吐く。
商品泥棒常習犯はというと平然と出されたお茶をすすっていた。
 
「というかそもそも、君の方がわかるだろ?いつでも一緒にいるじゃないか」
「いないわよ、そんなに。勝手にあっちが神社に来るだけ。私は保護者としてのあなたの意見を聞きにきたのよ」
「ふむ。保護者、ねぇ……」
 
霖之助はそこで考えるそぶりをみせる。
パリン、と霊夢がせんべいをかじった音が店内に響いた。
 
「まぁ、僕は何も言えないよ」
「ふーん?」
「彼女は変わってないと思っているよ。自分が今、どんな表情をしているかなんてわかってないのさ。
それでも周りはそうしようとする彼女を見て、何も言わない。言えない。だから僕も何も言えない」
「……そう」
 
繰り返す霊夢の表情はどこか寂しく、一方霖之助は表情を変える事もなく淡々と話す。
思うことは、多分一緒なのに。
 
「……私は背中を押したつもりだったんだけれども」
「まあ彼女が決めたんだ。気にする事はないさ。それより僕としては君の事も心配だがね」
「……お茶おかわり」
「本当、君の体はお茶で出来てるんじゃないか?」
 
やれやれと言った風に、霖之助は霊夢の湯飲みを持って奥に引っ込んでいく。
残された霊夢は、窓の外を見やる。
 
今日も幻想郷は快晴だった。
 
 
 
 
 
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
 
 
 
 
 
夕焼けの色の空を飛ぶ。
 
今日用事があるのは、紅魔館の地下図書館のみ。
目的の物が手にはいると思えば、自然と心は弾む。
 
「そこの黒いの!止まりなさい!」
「やなこった。悪いが急ぐんでな!」
 
声と共に恋符をぶっ放し、いつもと変わらぬ強行突破。
メイド長に見つかると面倒だから、そそくさと館内を移動する。
 
「さ、ついたぜ」
 
あっという間に図書館に到着。
とりあえずミッションコンプリートだ。
 
「……ウチの従者はどうして鼠一匹捕まえられない犬ばかりなのかしら」
「猫度が全くなさ過ぎるからじゃないか?」
「レミィに言って今度猫を飼ってもらいましょうか……。いえ、犬を猫にするのもありね」
「忠誠を誓うのは犬と決まってるんだぜ?もっとも、猫を飼ったところで私は捕まえられんがな。
外の世界には鼠が猫を翻弄する話があるそうだし」
「てことはやっぱり私が駆除するしかないのね。えぇーと、目の前の鼠を消極的に駆除するには……」
「おいおい、来て早々物騒な事言うなよ」
 
図書館で魔理沙を出向かえたのは珍しくパチュリー。
どうやらたまたま入り口付近にいたらしい。
まあ、どうせ挨拶のひとつくらいはするつもりだったのだが。
 
「で、ここには客に茶のひとつも出さないのか?」
「客なんてここにはいないもの」
「私は客だぜ」
「鼠でしょ」
 
呆れたようにパチュリーは言い放つ。
魔理沙はひどいぜ、と笑った。
 
とりあえず二人でテーブルのある場所まで移動する。
そこにはすでに湯気のたつ紅茶の入ったカップが二つ。
 
「……本当に使えない犬だわ」
「気が利くいい犬だぜ」
 
こめかみを押さえながらパチュリー。
ニシシ、と笑い魔理沙。
そうして二人は席に着いた。
 
「そう言えば───」
 
しばらく静かに本を読んでいた二人の沈黙を破ったのはパチュリーだった。
 
「───人形遣いが消えたそうね」
 
その言葉に、動きが一瞬止まる。
 
「ああ。まあそのうち帰って来るさ」
 
本から顔を上げぬままなんでもないといった風に受け答えをする。
いや、実際なんでもない。
 
「あら?あなたもあの子の行き先を知らないの?」
「おいおい、私はあいつの行動すべてを知ってるわけじゃないぜ?」
 
そう言って苦笑をもらす。
こいつは私とアリスをどんな関係だと思ってたんだか。
 
「あなたって本当にわかりやすいのね。そんな弱弱しい笑いはあなたらしくないわよ?」
「……っ」
 
顔を上げれば、そこにあるのは自分が映る紫の瞳。
その瞳に、強がりは全部お見通しだと言われているようで。
 
「何を言ってるんだ?私はいつもどおりだぜ?」
「そう?ならその手は何かしら?」
 
パチュリーが指差すのは無意識に強く握った手。
手は不自然に震えていた。
 
「こ、これは!」
「ねぇ、魔理沙。あなたわかってるのかしら?私は生まれながらにしての魔女。
人の心を誘惑し、そのまま奪ってしまう種族の妖怪。人の心を読み解くなんて、呼吸をするようなものよ」
 
パチュリーは静かに笑みを浮かべる。
魔理沙はその笑顔に完全に動けなくなるのを感じた。
 
「それにね、魔理沙。あなたは気づいてないようだけど、今のあなた、傍から見てもお見通しなくらいひどい顔よ?」
 
その笑顔は、本物の魔女のもの。
 
「……っ!」
 
黙り込んで俯いてしまった魔理沙を見ると、パチュリーは再び本に目線を落とす。
しばらくして我に返った魔理沙は、傍らにあった箒を乱暴につかむとその勢いのまま扉へと向かう。
 
「邪魔したな!」
 
乱暴にその言葉を投げると、魔理沙は紅魔館を去っていった。
 
「パチュリー様……あんな言い方しなくても……」
「あの子は周りに甘やかされすぎなのよ。このくらい言ってあげなきゃ自分の弱さにも気づけないでしょう」
「何もパチュリー様が汚れ役にならなくとも……」
「いいのよ。これであの鼠がここに来なくなれば一石二鳥だもの」
「……意地っ張り」
「えぇと……使い魔に消極的にお仕置きする方法は……」
「パチュリー様ぁ?!」
 
その後小悪魔がどうなったかは、また別の話。
 
 
 
 
 
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
 
 
 
 
 
くそ!くそ!くそぉ!
 
一方魔理沙は速い速度でがむしゃらに空を飛ぶ。
 
───今のあなた、傍から見てもお見通しなくらいひどい顔よ?
 
パチュリーの言葉が頭の中に響く。
 
結局私は、アリスがいなきゃ『私』でさえいられないってことか!?
私はそんなに弱い人間だったのか!?
 
「……っ」
 
気づけば、そこはいつもの場所。
アリスの家に着いていた。
 
本当は、わかってる。
私が私であるには、アリスと言う存在がいなきゃだめだなんて。
 
依存してると言われたっていい。
あいつに甘やかされて、怒られて、一緒に笑って、一緒に過ごして。
そうやって、今の霧雨 魔理沙出来上がった。
もはやアリスは、霧雨 魔理沙の一部だ。
その一部が無いのに、どうやっていつもの自分でいられるなんて言うんだろうか。
 
そんなこと、わかってた。
 
それでも、
 
それでも、私は。
 
 
 
アリスを、驚かしてやりたかったから。
お前がいなくても、わたしは一人で大丈夫だって言いたかった。
それが言えたら、この気持ちを伝えられる気がして。
 
そしたら、君と対等な気がして。
 
 
 
結局こうやって毎日ここに来てしまう自分は、君に頼っていたのに。
 
 
 
 
 
帽子の中から人形を取り出す。
 
そこにはニシシと笑う自分がいる。
そんな顔、もうしばらくしていない。
具体的には、一ヶ月。
君が消えてから、一ヶ月。
 
「……アリス」
 
呼び慣れたその名前に、答えてくれる人はもういないのに。
 
「……アリス……ア、リス……」
 
人形を握り締め、何度もつぶやく。
 
『なぁ、アリス。このきのこ入れるとおいしいんだぜ?』
『ちょっと魔理沙?!何回言えばわかるのよ!私はきのこはだめだって……ってちょ!勝手に入れるな!』
 
『魔理沙……あんたまたこんなに散らかして……』
『散らかしてないぜ?』
『……どうやったらここまで片付けられないのかが知りたいわ』
 
なぁ、アリス。
 
答えて欲しい。私が呼ぶ声に。
 
怒っていたっていい。
呆れてだっていい。
 
あの声で、もっと。
 
あの笑顔で、もっと。
 
 
 
「ありすぅ……っ!」
 
 
 
空に、願いをかける。
 
どうかこの空の下に、あなたがいますように。
 
あなたに、この声が届きますように。
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「そんなに何回も呼ばなくても聞こえてるわよ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
急に聞こえたその声に身体を強張らせる。
 
それは、待ちわびた声。
 
「人の家の屋根で何騒いでくれてるのかしら?」
 
恐る恐る振り向けば、そこにいるのは待ちわびた人。
 
しかし、
 
「アリス……?」
「……どうしたの?そんな顔して。ていうか何で泣いてるのよ?」
 
今この状況で、普通現れるか?
だってこの流れは、普通はBADENDにしかならない。
ゲームじゃ、それが普通だ。
 
「魔理沙ー?」
 
おーい、と目の前で手をひらひらと振るアリスが見える気がする。
これ本物?偽者?妄想?
 
「……アリス?」
「だから何よ?」
 
何かあったの?と、その人物は聞いてくる。
 
何かあったのってアリスが急に消えたんだよ。
だから悲しくって寂しくって、私は泣いてたんだ。
アリスに届いて欲しいから、私は何回も呼んでたんだ。
 
君の名前を。
 
「……アリス・マーガロイド?」
「マーガトロイドよ。いい加減覚えて」
 
目の前でため息を吐くのは、本当に、君?
 
頬に触れて見る。
つめたって声がした。触れた。
 
触れた私の手のひらには、ちゃんと熱があって。
 
どうしたのって、重ねられた手もあったかかった。
 
「アリス……?」
「そうだってば」
 
手を包んだまま、変な魔理沙って微笑んでくれたその人は。
 
その笑顔は、確かにアリスのもので。
 
「アリス……っ!」
 
思わず、抱きしめた。
 
 
 
キャッて声がして、硬くなったその身体からはアリスの匂いがする。
ずっとずっと求めてた、アリスの匂い。安心する甘い香り。
 
ドクン、ドクンとアリスの心臓の音が聞こえる。
 
 
 
アリスは、ここにいる。
 
 
 
ぎゅーっと抱きしめて、もう逃がさないようにする。
 
「ちょ、ちょっと!痛いわ!」
「うん」
「ど、どうしたのよ?変よ、魔理沙」
「うん」
 
変にどもったアリスの声が抗議する。
でも、その答えに今は答えられない。
今はそれどころじゃないんだ。
アリスがいなかった分、私に足りなかった分を補給しなきゃいけないんだから。
 
「……そんなに私がいなくて寂しかったの?」
「うん」
「私がいなくても何も変わらなかったんでしょ?」
「お前がいないと、だめだった」
 
顔を上げて、アリスを見上げる。
心なしかアリスの顔は赤くて。
きっと私も赤いのかもしれない。
でもきっと、今言わなきゃだめなんだ。
 
「アリス」
 
君がいないと、私は私でいられなくなるから。
 
 
 
「ここにいろよ」
 
 
 
あの日伝えられなかった本当の答えを、君に。
 
 
 
君がいないと、私は嫌なんだ。
 
 
 
 
 
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
 
 
 
 
 
「霊夢ー、茶ー」
「だから自分で淹れなさいって何回言わるのよ」
「私は客だ」
「あんたは客じゃない。このウジっ娘ウジ子」
「……それはもう返上したんじゃなかったのか?」
「はいはい、私が淹れますよ」
 
戻ってきたいつもの光景に、ひとりでに頬が緩んでいくのを感じる。
 
霊夢がいて、私がいて、アリスがいて。
 
「なーにニヤニヤしてんのよ、気持ち悪いわね」
「ん?いやー、平和だなーと思ってな」
 
本当に平和なひと時。
何気ないものだが、それがとても心地よい。
 
もう無くさないように、ずっと大事に守っていかなくてはいけないもの。
 
「はい、お待たせ」
「おー、サンキュー。やっぱり新しい葉は香りが違うな」
「本当、持つべき者は友よね」
「いや、お茶くらいで泣かれても……」
 
嬉し涙を流す霊夢に、アリスは呆れたように言う。
そんな二人を見て、やはり頬が緩んだ。
 
「いやー、本当に平和だ。なんかどかーんとやらかしたい気分だぜ」
「ちょっとやめてよね。それに異変ならこの間起こしたばっかじゃないの」
「は?異変を起こした?」
 
そうよ、と霊夢は茶を啜る。
意味がわからん。私は何もしていないぞ。
 
「魔理沙が抜け殻になってみんなに心配かけさせまくるっていう、
みんなの心を利用した今までで一番被害がなくて被害があった異変よ。原因も解決したのも───」
 
霊夢がにやっと口の端を上げる。
 
「───アリス、あなたよ。そうでしょ?」
 
「なっ?!」
「ちょっ?!」
 
音を立てんばかりに真っ赤になった二人をニヤニヤと霊夢は見やる。
 
「ななな何を言ってるんだお前はぁ!?私は抜け殻になんてなってないぞ!?
第一こいつがいなくなったくらいで私がだなぁ!」
「ちょっと待ちなさいよ!何よそれ?!
昨夜、『お前がいないと、だめだった』なんて言ったくせに!!」
「なっ……にを言ってるんだお前は本当にぃぃぃぃっ!!!
そんな事一言も言ってないぜ!第一な、魔界に里帰りしてただぁ?!だったら最初からそう言ってけよな!」
「だから日帰りするつもりだったって言ってるでしょ?!」
「だったらあんな紛らわしい事急に言うなよ!」
「ちょっと気になったから聞いただけでしょ?勘違いも甚だしいわ」
「はっ!何言ってんだか。それはお前の事だろ?!あの時だって───」
「なによ、あれはあんたが───」
 
ギャーギャーと言い合う二人を横目で見つつ、霊夢はまたお茶を啜る。
 
「全く……この二人はいつになったら素直になれるんだか……」
 
さっきの会話を聞いてる分には、昨夜は良い雰囲気だったみたいなのに。
 
「お互い気持ちは言ってないからまだわかんないとか、そこいらでしょ」
 
霊夢のその勘は当たっていたりする。悲しい事に。
 
ふと、空を見やる。
 
幻想郷は今日も晴れ。
きっと今日も、綺麗な星空が広がるであろう。
 
ギャーギャーと未だ聞こえるバカップル未満の言い合いに、霊夢はくすりと笑みをこぼす。
 
「親友の恋を応援しながらあんたを待つのも、悪くはないわよね」
 
ポツリとつぶやいたその言葉は、青い空に消えて言って。
 
 
 
空に願いを。
あなたに、届け。
 




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