空に願いを。<前>







天気は晴れ。
スカッと晴れた秋晴れのある日のこと。
今日も私は神社の縁側で茶を啜っていた。
大した意味もない会話を交わし、ケラケラ笑う。
いつもの午後のひと時。親友との戯れ。
 
──それはまさに、幸せな日々。
 
「霊夢ー、お茶がもうないぜー?」
「そうね。茶筒と葉っぱはあなたの隣よ」
「なんだよ、ここは客に茶も淹れてくれないのか?」
「あんたは客じゃない」
「立派なお客様だぜ」
「はいはい、私が淹れるから二人ともちょっと待ってて」
 
珍しい、と言えば今ここにいるアリスだ。
私がこの時間に神社にいることはあまり珍しいことではないが、アリスが約束したわけでもなしにいるのは珍しい。
とはいえ、アリスがこの神社に来ることは少なくはないのだが。
 
初めて三人で会ったのは、魔界へ観光行った後のこと。
木にアリスを吊るし、本を読んでいたところに霊夢はやってきた。
まあ博麗神社の木に吊るしてたんだから当たり前っちゃ当たり前なんだが。
とにかく、そうやって私たちは出会った。

あれからすぐアリスは魔界に戻ってしまったが、結局あの終わらない冬に再会した。
 
『こんな殺伐とした夜がいいのかしら?』
 
なぜあんなに成長してしまっていたかなんてしらないが、それでも一瞬でアリスとわかってしまった自分がいた。
あの時霊夢にもアリスは会っていたらしい。もっとも霊夢はアリスとはすぐにわからなかったらしいが。
 
「はい、お茶」
「おお、サンキュー」
「持つべきものは友ね」
「お茶ぐらいでそこまで言われてもね……」
 
まあなんだかんだであれから私たちは結構一緒にいることが多くなった。
もっとも、最近はアリスが忙しいらしく三人一緒ということは少なかったのだが。
 
「静かね」
「ああ、平和だ。何かドカーンとお祭り騒ぎでも起こしたい気分だぜ」
「何かやらかしたら魔理沙でも承知しないわよ」
 
淡々と会話をするが、本当は私の心は躍っていた。
楽しい。心の底から。
やっぱり三人でこうやって過ごすことが私にとっては一番楽しいことなのだ。
親友が二人そろっていて、なんでもない会話をして。
本当に平和なひと時。
何気ないものだが、それがとても心地よい。
 
──すぐ側にあるものほど、気づかないのが常である。
 
「さて、私はそろそろお暇するわ」
「あら、もう?」
「ええ。これでも忙しい身なのよ」
 
そう言ってアリスは立ち上がり準備を始める。
どうやらこの平和なひと時はもうお開き。
 
「んじゃ私も帰るとするか」
 
どうせ方向は一緒だし、たまには一緒に帰ったっていいよな。
本当、最近滅多にないし。
 
「はいはい、とっとと帰れ帰れ」
「なんだよ、私には冷たくないか?」
「タダ飯食らいに用はない」
 
そう言ってしっしっと霊夢は手を振る。
ちょっと普通にひどいと思うんだが。
 
「ああ、アリス」
「?」
 
さあ飛び立とうという時に、何か思い出したのか霊夢がアリスを呼び止めた。
お茶の片づけをしているのでこちらを向きもしないが。
会話をするときは人の顔を見るもんだぜ。
 
「何を考えてるかは知らないけど、またお茶くらいなら出してあげるわ。出がらしだけど」
「……今度は手土産にお茶でももって来るわ」
「ええ、またね。魔理沙もまた」
「あ?ああ、んじゃな」
 
二人の会話の意図はよくわからなったが、霊夢といつもの別れの挨拶をして私たちは別れた。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆


そんな日の帰り道のこと。
 
「ねぇ、魔理沙」
「ん?」
 
何気ない会話をしながらの帰り道。
何も変わらぬ口調で、彼女は告げる。
 
「私が魔界に帰るといったらあなたどう思う?」
 
──それ故に、それは尊く儚くあったのに。
 
「なんだ、またいなくなるのか?」
 
ヘラリと笑って、いつもと変わらぬ口調で私は答える。
きっとただの言葉遊び。いちいち動揺なんて、しない。
 
「もしも、の話よ。いなくなるとは言ってないわ」
「ふ〜ん。そうだな、困る」
「え?」
「飯をたかる所が減ってしまう」
「……本当、あんたが私をどう思っているかがよ〜くわかったわ」
 
笑って、冗談でごまかせばいい。
あくまでも、もしもの話なんだから。
そう、もしもの話。
 
「ま、どこにいても友達には変わりないぜ。だから何も変わらん」
「……ええ、そうね」
 
あいつがどんな顔をしていたかなんて、私にはわからない。
私の顔がひどかったからあいつの顔なんて見れなかった。
その答えが正解だったかなんて私にはわからない。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「おーい、アリスー?」
 
昨日のアリスの様子が気になり、私はアリスの家に来ていた。
先程からドアの外から呼んでいるのだが、いくら呼んでも返事がない。

仕方ないな……、強行突破させて貰うぜ。
 
扉を破ろうとミニ八卦炉を構えると、キィっと扉が開いた。
 
「お?」
「ホラーイ!」
 
そこにいたのはアリスではなく蓬莱人形。
アリスから命令されてきたのか?
となるとアリスは今よっぽど忙しいということになる。
 
あーあ、うるさい小言言われちまうぜ。
そう思いながらも家の中にあがりこむ。
ふと、違和感を覚える。
なんでか人のいる気配を感じない。
蓬莱が私を迎え入れてくれたのだ。あいつがいないわけがない。
だから、こんなの気のせいのはずだ。
 
勝手知ったる他人の家。
迷うことなくリビングへと向かう。
だが、そこには人影はなく。
 
研究室か?
 
仕方なしに研究室へ向かう。
手が離せない状態と考えるのならこっちのほうがいる可能性が高い。
いや、だからこそ蓬莱が迎えに着たんだろう。我ながら抜けていた。
 
「おーい、来てやったぜー?」
 
そう言って研究室のドアを開けるが、そこはもぬけの殻。
 
「おいおい……冗談だろ?」
 
嫌な汗が背中を伝う。
そんなわけ、ない。
だって昨日のあれはもしもの話だろ?
違ったとしてもこんなに急にいなくなるなんてありえない。
あいつに限って、そんなことあるわけない!
 
「おい、アリス!」
 
寝室、人形部屋、風呂場、トイレ……
 
どこを探してもあいつはいない。
もう頭ではわかっていた。
 
「おい、アリス?!冗談はよせよ!」
 
アリスは、今ここにはいない。
でも、体が、心がそれを認めたくなくて、家中探し回った。
 
「アリス!!」
 
私が知る限り、これで最後の部屋。
 
でもそこに求めた姿はなく。
 
「は、ははは……冗談きついぜ……」
 
力なくその場に座り込む。
 
そうだ、ただ出かけてるだけかもしれない。
だって蓬莱が私を迎え入れてくれた。
人形たちだって、いつもと変わらない場所に置いてあるままだった。
もう帰ってこないかもしれない家に、あいつが蓬莱を、人形たちを置いて行くはずがない。
 
「そうだよ……そうに決まってる……」
 
気を取り直し、私はキッチンへと向かう。
もう空は赤くなってきている。夕暮れ時だ。
きっとそろそろ帰ってくるさ。そうに決まっている。
だから、たまには私が夕飯でも作っておいてやろう。
和食だが文句は言わせない。
 
いそいそと夕飯の準備始める。
不安な気持ちは消えなかったが、気にしないことにした。
だって、蓬莱はここにいる。
 
「ホラーイ?」
「いや、なんでもないぜ。手伝ってくれるか?」
「ホラーイ!」
  
元気良く蓬莱は返事をしてくれる。
そう、こいつがいるんだからありえない。
 
あいつが、ここから消えるだなんて。
 
その日、アリスが私の夕飯を食べることはなかった。

次の日、また次の日。そのまた次の日。
私はずっとアリスの家で待ち続けた。
 
そして気づけば5日経っていた。
流石の私でも、もう気づいている。
あいつは、きっとここに帰ってこない。
 
「そんなわけ……あるかよ……」
 
何かに巻き込まれたことだって考えた。
でもそれならきっと、蓬莱は魔力の元を失って動かなくなる。
だが蓬莱はずっと私と一緒に行動している。
つまり、アリスはどこかにいるということ。
 
テーブルの向かい側をふと、見やる。
 
そこには今日も食べられることはない食事があって。
ああ、明日の朝も夕飯と同じメニューかなんて考えた。
 
そこにあったはずの、いつもの笑顔がなくて。
 
何度も家中を探し回った。
どこかに隠れているかもなんてバカなこと考えて、部屋中くまなく探した。
格好悪いくらいに必死に探してた。時には涙まみれになりながら、それでも必死に。
 
でも、あいつはどこにもいなくて。
 
料理を作っている最中、あいつの文字で書かれた調味料のラベルが目に入る。
それを手にした私は、何度動けなくなったのだろう。
もうあいつがこのキッチンに立つことはないかもしれないのに、それだけが何か浮いていた。
何度も繰り返したあの日々を、思い出す。
 
『今日の夕飯はなんだ?』
『魚のムニエルよ』
『おお、そいつはうまそうだな』
『誰も食べさせるなんて言ってないんだけど』
『いやぁ、楽しみ楽しみ』
『人の話を聞く。勝手に本をあさらない。こら、しまうな!』
『別に普通だぜ?』
『意味がわからないわ』
 
その日々は、もう二度と帰らないかもしれない。
 
──思い浮かぶのは、君の笑顔。
 
何であの時、素直に嫌だと言えなかったのだろうか。
本当はわかってた。どこにいても友達だなんて、嘘だ。
 
──だって私は、もうあいつを『友達』だなんて思っていなかった。
 
霊夢に感じる好きとは違う、あいつに対するこの感情。
 
──それが『恋』だなんてとっくにわかっていた。
 
なにも変わらずあいつが笑い、わたしが笑い。
いつまでもそれは続くもの。
いつまでも、変わらぬもの。
壊れてしまうのが、怖かった。
 
『魔理沙』
 
そう呼んでくれるあいつの声が、何よりも好きだった。
 
──恋色の魔法使いは、恋色に染められていたのに。
 
テーブルの向こうに、笑う君はもういない。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。
  
あれからすぐ食料は底をつき、もうどうしようもなかったのでアリスの家を後にし、家へ帰った。
だが、どうにも一人になるのが耐え切れず、自然と足は博麗神社へ。
 
──なんつー顔してんのよ。
 
そう言って霊夢はひとつため息をついただけで、何も言わずに私を受け入れてくれた。
持つべきものはやはり友である。
 
それから5日間、私は博麗神社に居ついている。
 
──気づけば彼女がいなくなってからもう10日が経っていた。
 
食事はきちんと摂っているし、霊夢や萃香とは会話だってちゃんとしている。
少しだけ、何もする気が起きないだけだ。
パチュリーのところに行く気にもなれなかったし、研究だって今は億劫だ。
どうせ暇なら食事に使う山菜やきのこを採って来いと霊夢から言われたが、やる気になれなかった。
そんな私を気にした風もなく、霊夢はいつものようにタダ飯食らいめとぶつぶつ言っていた。
そんな霊夢の態度が今の私にはありがたかった。
 
こんなの私らしくないなんて、百も承知だった。
 
でもどうすればいいんだろうか?
自分の気持ちに気づいた時には、もうすべてが終わっていた。
そんな時、どうすればいい?
 
 
 
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
 
 
 
今日の天気は、晴れ。
こうやって縁側で茶をすすっていると、アリスがもういないなんて嘘みたいだ。
今にも『ここにいたのね』なんていってひょっこり顔を表す気がする。
もう、そんなことないのに。
 
「私の分も、お茶」
 
物思いに耽っていると、境内の掃き掃除を終えたばかりの霊夢が戻ってきた。
居候の身だ。黙ってお茶を淹れてやる。
ふぅ、と一息ついた霊夢は仕事の後のお茶はおいしいわぁなんて言っている。
葉っぱ集めただけの癖に。
 
「ただの穀潰しには言われたくないわ」
「何も言ってないぜ」
「顔見りゃあんたの考えくらいわかるわ。残念ながら」
 
そう言って、また一口。
霊夢なんてお茶飲み過ぎてふやけちまえばいい。
 
ちゅんちゅんと雀が鳴いている。
今日もまた、平和でのどかな一日。
 
「で、スネっ娘スネ子さんはいつまでこうしている気かしら?」
「誰だそりゃ。気持ち悪い」
 
悪態をつくも霊夢はそ知らぬ振り。
いや、実際気にしてないのであろう。本当に食えないやつだ。
 
「で、あんたはここで何やってんのよ。もう5日。いい加減タダ飯食らいに食わせるものはないわよ」
「…………」
 
何も言えず黙り込む。
そんな私の様子に呆れたように霊夢はひとつため息。
 
「ウジっ娘ウジ子に改名ね。本当、あんたらしくないわ」
 
そう言って鼻で笑われた。
それでも返せる言葉はない。
 
本当、私らしくないな……。
 
ふ、と自嘲をもらす。
 
「わたしにはね」
 
ぽつり、と霊夢がつぶやく。
 
「あのバカがいつ帰ってくるかなんてわからないわ。でもね、信じてるのよ。
バカを見ようとなんだろうと、私は信じるわ。今はここにいなくても心は繋がっているもの。それでいいじゃない」
 
それは私に向けているようで、自分に向けた言葉。
ただ空を見つめたその視線の先にいる人に、向ける言葉。
 
「私はここにいる義務がある。だから、ここにいる。ここで待ち続けるの。そう約束したしね」
 
そう言ってただ空を見つめる霊夢は、私よりかずっとずっと大人で悔しくなった。
 
「ま、どうでもいい独り言よ。気にしないで頂戴」
 
そう言って振り向いた霊夢の瞳の中に写るのは、私。
 
この霧雨 魔理沙だ。
 
「お前も立派に恋する乙女だったんだな〜」
「そんなんじゃないわよ。急にいなくなったことに文句言ってやるために待ってんの」
「ほ〜……」
「なによそのニヤニヤした顔。気持ち悪い」
 
プッ……
 
少しの間をおいて、二人で同時に吹き出す。
二人で腹を抱えて笑った。
 
何がおかしいかなんて、最後にはどうでも良くなってた。
 
なぁ、霊夢。
お前が親友で、本当に良かった。
 
 
 
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
 
 
 
星が拡がる空の下。
魔理沙はアリスの家の屋根の上にいた。
 
時間はもうだいぶ遅い。もとい、だいぶ早い。
つまりは、そのくらいの時間。
 
魔理沙はただ、空を見上げていた。

遠く遠く拡がる空に、一人屋根の上でアリスを想う。
 
この空はどこまで繋がっている?
君のいるところにも、この空は拡がっているのだろうか?
 
それでもいいか、と思った。
 
きっと、なんとなくだけれど、君もこうやって空に何かを思ってくれている気がするから。
 
きっと、君の近くにもこの空は拡がっているんだろう。
 
夜明ければ『私』は『私』に戻ってしまう。
朝が来れば、君だけを想う私ではいられなくなってしまう。
朝が来なければいいのになんて、少し思った。
 
いつかのように夜をとめて、ずっと君を想っていようかなんて、すごくバカなことを考えた自分に自嘲する。
 
今度君に会ったら、もう強がるのはやめようと思った。



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