lover
青い空。白い雲。暖かい日差し。
その全てに誘われて、そっと木の根元に腰を下ろす。
そのまま木に身を預けて、ぐっと体を伸ばした。
「んー……」
自然と漏れる声。
なんだかとってもいい気分。そう思いながら、大きなあくびをひとつ。
ああ、なんていい天気だろうか。
そんな事を考えながら、そっと目を閉じる。
こんな日は、ゆったりと過ごすのが一番だ。
意識が徐々に遠のいていく……はずのところで、一気に意識は覚醒した。
冷たくて強すぎる風が身体に吹き付ける。
ソレと同時に、先程やっと集め終えた落ち葉がびしびしと容赦なく顔にも体にも叩きつけられた。
そう、今は秋。むしろもう、初冬と呼んでもいい季節。
木々はすっかり丸裸になり、もうすぐ霜も降りるであろう、そんな季節。
こんな季節にまったりと昼寝でもと思った罰が当たったのであろう。
先程終わったはずの仕事は、結局振り出しに戻ってしまったのであった。
「あー……」
がっくりと肩を降ろす。せめて作業している最中に吹き飛ばされたのなら、こんなにも落胆しなかったというのに。
自分に付いてしまった落ち葉を軽く手で払い、よっこらせと立ち上がる。
今度は終わったらすぐに片付けなければ。
そんな風に気合を入れ直した直後の事だった。
後ろに唐突に現れた気配に、ピクリと身体が反応する。
こんな登場の仕方をする人なんて、私は一人しか知らない。
「咲夜さんっ」
腕を組んだ彼女が、ソコに立っている。
それだけの事がすごく嬉しくて、思わず声が大きくなってしまった。
そんな私の様子を見て、くすりとひとつ彼女が笑う。
たったそれだけの事で、私の鼓動は高鳴った。
「何?そんなに大声出して」
本当はちゃんとわかっているくせに、なんとも意地悪だ。
「何って……咲夜さんが会いに来てくれて嬉しいんですよ」
「会いに来たんじゃなくて仕事をしているだけよ。臨時お庭掃除係がサボっていないか、監視に来たわけ。……どうやら来て正解だったみたいね?」
くるりと辺りを見回して、彼女がそう一言。
投げ出された箒。散らばる落ち葉。たった今、立ち上がったばかりの私。
確かに、今のこの状況を見たら私が働いていなかったみたいに見える。
「ち、違いますよっ?!一段落着いて休憩してたところで風がこう、びゅーっと吹いてですね!」
慌てて言い訳をするも、彼女がジロリとこちらを睨むから口を噤んだ。
本当にちゃんと終わっていたのに……。まあ、さっさと片付けずにいた私の自業自得ではあるんだけれども。
不貞腐れてしまった私を見て、彼女はまたひとつくすりと笑う。
「どうやら風が吹いたって言うのは本当みたいね。ほら、髪の毛に枯葉がついてるわ」
「え?」
その言葉と同時に彼女との距離が一気に縮まる。
あ、と思った時には、彼女の手が私の髪の毛を撫でていた。
「もう、こんなにつけて……小さな子供みたいよ?」
くすくすと笑いながら一枚一枚丁寧に彼女は葉を取っていく。
私よりも少し低い彼女の瞳が、私の髪の色を映していた。
そんな瞳にドキリとして、思わず視線を逸らす。
逸らした先、彼女の綺麗な銀髪からふわりと香ってくる甘い匂い。きっと今日のおやつの匂い。
甘くて少しばかり香ばしいその匂いから察するに、今日のおやつは何かの焼き菓子だろう。
「……咲夜さん、いい匂い」
「……え?」
枯葉を取る手を止めて、怪訝な顔で彼女が見上げてくる。
眉を顰めたその表情に、思わず噴出してしまいそうになった。
「髪からいい匂いがするんです」
「髪から?」
「はい。すごく、いい匂い」
彼女の前髪に顔を近づけて、くんっとひとつ嗅いでみた。
うん、やっぱり焼き菓子の匂い。何かまではわからないけれど、バターの匂いも香ってくるし間違いない。
「うん、やっぱり今日のおやつは焼き菓子――」
そこまで言ってふと我に帰れば、彼女の顔が至近距離。
少し潤んだ瞳でこちらを見上げる彼女。
私の髪の色みたいに真っ赤になったその可愛いすぎる表情に、大きく鼓動が跳ねた。
いつもは澄ましている彼女のこんな表情。
破壊力が、高すぎる。
「……咲夜さん」
熱に浮かされるがままにそっと右手で彼女を抱きしめようとしたら、彼女の左手がそれを制す。
それでも私は止まれなくて、今度は彼女の頬へと左手を伸ばす。頬に触れることなく、今度は右手に捕まった。
ぷるぷると少し震える彼女の手は、強くはない力で私を止めようとしている。
振り払おうとすれば振り払えるけれど、そこまで強引には出来ず。
「……キス、してもいいですか?」
「ダメ」
即答だった。さすがに、凹んだ。
一応、私達は付き合ってるはずなのに。こうもあっさり即答されたら、誰だって凹むに決まってる。
「どうしてですか?!いい雰囲気だったじゃないですか、今」
「ダメ。ダメったらダメなのよ」
断固拒否と言わんばかりに、私の両腕を掴む彼女の手にぎゅっと力が入る。
少しばかり痛みを覚える両腕より、ずっとずっと心の方が痛かった。
実は、こんな風に断られるのは初めてではない。
付き合い始めて半年。手を繋ぐのはあっさりだったくせに、どうしてもそれ以上を許してくれない。
でも、これ以上が嫌だと言うのなら私は我慢をするしかない。
あなたに少しでも近づきたくって、触れたくって。
そう思っているのは自分だけなのだと、何度もこうやって植え付けられる。
それでも止められないのは、やっぱり私は咲夜さんが好きだから。
「ねえ、咲夜さん」
手を振り払うことも出来ず。でも、たまりにたまったこの気持ちは流石にもう抑えきれる自信もなく。
「私、咲夜さんが好きなんです」
「知ってるわ」
「すごくすごく、好きなんです」
「だから、知ってるって言ってるでしょ?」
真っ赤になったままの彼女の顔に、ずいっと顔を近づける。
「咲夜さんは、私の事好きじゃないんですか?」
「好き、だけど……」
その分だけ彼女は後ろに下がろうとするから、逃がさないように彼女から捕まれた腕を引っ張った。
「だけど?」
息を呑む彼女に、少しずつ詰め寄って。
彼女の瞳の中の自分と、目が合う。酷く情けない顔の自分が、そこに居た。
「め、めいりん……」
彼女の声が震えている。
怖がらせているかもしれないとわかっているのに、どうにもこうにも自分を制御できない。
「だけど、触れられたくない?」
「ちが……」
「違わないじゃないですか。だってほら、こんなにも震えてる」
私の手を掴んだままの彼女の手を指せば、慌てた様子で彼女はぎゅっと力を入れて震えを止めようとする。
そんな仕草に、胸がどうしようもなく痛くなった。
思わず涙が溢れそうになる。止めようと、やめようと思うのに歯止めがきいてくれない。
「ねえ、咲夜さん」
泣きたくないから、無理やり笑顔を作った。
それでも、溢れてしまった涙は止められず。
「本当に、私の事好きなんですか?」
言葉にはしないと決めていたその言葉も、止められなかった。
「〜〜〜っ!」
バチンという音が、小気味良く響く。
それは、彼女が私の頬を叩いた音。
じんじんと痛む頬に、痛みよりも先に安堵感を覚える。
どうやら、彼女はまだ少しはこんな私を好きで居てくれるみたいだ。
こんな風にすることでしか彼女の気持ちを信じる事が出来ないこんな私の事を、まだ想ってくれている。
しばらくの沈黙。俯いたままの私たちに、何度か冷たい風が吹き付けて行った。
「……ごめんなさい」
そう切り出したのは、彼女の方。
ビクリと身体が跳ね上がった。
(ああ、これはきっと……もう、終わる)
覚悟なんて、出来るはずなかった。
失うくらいなら、最初からなければよかった。
零れ落ちてしまう事を最初から知っていたのなら、この気持ちは止められただろうか?
こうなってしまう前に、好きな気持ちも、求める気持ちも、触れたい気持ちも全部全部止めてしまえただろうか?
答えは否。
だって私は、今だってまだ止められない。
あなたが好きなこの気持ちは、止まらない。
何を言っていいのかわからない。
ただあなたから告げられる別れの言葉を待つだけなんて嫌なのに。
「あのね、美鈴――」
「す、好きです!」
バカのひとつ覚えみたいなその言葉が、ぽろりと口から零れ落ちた。
「好きなんです!離したくないんです!一緒にいたいんです!」
それでもそれ以上の言葉なんて出てこない。
「すごくすごく好きで、触れたくて、咲夜さんの全部が欲しいんです!」
それ以外の気持ちが、出てこないから。
あなたとただ、一緒にいたいから。
「だから!」
覚悟を決めて、ぐいっと彼女の腰に腕を回して引き寄せる。
もう、この思いは留めてなんておけない。
我ながら自分勝手だとは思うけれども、もう我慢するのはやめると決めた。
「本当に嫌なら、思い切り突き飛ばしてくださいっ!」
ぎゅっと目を瞑り、無理矢理彼女へ顔を近づけた。
ただ唇を押し付けるだけのキスを、彼女の頬に落とす。
一瞬の出来事だったソレでも、柔らかい感触がしっかりと刻み付けられた。
もう一度触れたい欲望をどうにか押さえつけようとしたけれど、耐え切れない。
今度は反対側からもう一つキスを落とす。
苦しいほどに切ないのに、どうしようもなく嬉しくて。
もっともっとと、心が求めてる。もっともっと、あなたが欲しい。
もう一度。もっと、もっと。
止まらない。止められない。
それでももうやめなきゃいけない。
一度きりと決めていたのに、すでにもう二度もしてしまった。
でも、止まりたくない。
もっともっと欲しい。欲しくて欲しくて、堪らない。
こんな私を止めるはずの彼女は、何も抵抗しない。
このままじゃ、本当に止まれなくなるのに。
泣かないと決めたのに、涙が溢れる。
ねえ、咲夜さん。
どうして止めてくれないんですか?
どうして、そうやって受け入れてしまうんですか?
「……ちゃんと嫌って、言ってくださいよ」
いつもみたいに、嫌だと言って。
したくないって、ちゃんと言って。
そうしなきゃ、本当にこのまま無理矢理にしてしまう。
頬ではなくって、唇に触れてしまうから。
「いつもみたいにちゃんと……」
涙が溢れる。
いつから私達は、こんなにも遠くなったのだろう?
細い腰に回した腕からは、確かにあなたの温度が伝わってくるのに。
遠すぎて、全然あなたが見えない。
あなたの心に、届かない。
すっと、頬の涙を何かが拭う。
何か、ではない。これは彼女の手だ。
あったかくて、細くてすべすべなその指が、私の涙を拭ってくれている。
「泣かないで」
そんな懇願するような彼女の声に、益々涙が溢れる。
無理ですよ、咲夜さん。こんな時に泣くななんて。
だって、私はあなたが好きなんです。止められないくらい、止まらないくらいに好きなんです。
「咲夜さんこそ、泣かないでください」
自分が泣かせたなんて百も承知だけれど、本当は泣かせたくなくって。
そっと、彼女の頬に手を伸ばす。今度は制されることなく、彼女の頬に辿り着けた。
そのまま、彼女の綺麗な涙を拭ってやる。ごめんなさいって心の中で沢山言いながら、彼女が私にしてくれるようにただただ拭い続ける。
「ねえ、美鈴」
泣き止まぬまま、彼女が私の名前を呼ぶ。
私はといえば、歪んだ視界の中の彼女を見つめたままただ一心に涙を拭うしか出来なくて。
もう、伝えるべき言葉は言っていしまったから。これ以上、もう伝えられる言葉が浮かんでこない。
「私、触れられるのが嫌だなんて思ってないわ」
「でも……」
「本当に思ってないの。信じて。むしろ触れたいし、触れて欲しい。ちゃんと、そう思ってる」
涙声でちょっと聞き取りにくい彼女の声。
それでもちゃんと、私の耳には届いた。
「だって、嫌だっていっつも……」
「嫌だなんて言ってないわ……」
耳には届くのだけれど、意味が理解できなくて。
かといってここまで来て嘘をついているわけでもないだろうし、本当に自分の発言を忘れているわけでもないだろう。
あんまりにも意味がわからなくて、私はどんな顔をしていいかわからず。そんな私の様子を伺うように、咲夜さんは上目遣いでこちらを見つめている。
「え、だって……」
「嫌、とは言ってないのよ……?ダメ、とは言ったけれど……」
「………」
ごにょごにょと言い辛そうに語る彼女の言い分に、思わず私はあんぐりと口を開けた。
なんですか、そのむちゃくちゃな言い分は。
「ほら、美鈴っていっつも確認してくるから……」
ええ、確かに確認してました。
だって無理矢理なんてして、咲夜さんを傷つけたくなかったんです。
「だからその……いいわよ、なんていうの恥ずかしいし……。もう少ししたら素直に言おう言おうと思ってたんだけど、今度はタイミング逃しちゃって……」
今度はもじもじとし始める彼女に、どうしようもなく呆れてきた。
なんだろう、これ。なんかすっごく深く考えてた自分がバカらしくって、なんで今までこんなに泣いてたのかわからなくなってきた。
「だからあの……本当にごめんなさい」
本当に申し訳なさそうに頭を下げる彼女の姿をみて、もう我慢ならなくなる。
なんかもう、本当に馬鹿馬鹿しくなってきた。
「……ぷっ」
とうとう、噴出してしまう。笑いが止まらない。涙が出るほど、お腹を抱えて笑う。
もう無理。こんな事でここまで大喧嘩したなんて、私たち間抜けすぎる気がする。
「な、なんで笑うのよ!真剣に謝ってるのに!」
「咲夜さんが悪いんじゃないですかー」
「そ、それはそうだけど……!何もそんなに笑うことないじゃない!」
「だって、咲夜さんが可愛すぎて……ああもう、笑いすぎてお腹痛いですよー」
「あなたが勝手に笑い始めたんでしょ!」
そんなことで不安にさせられたのかとか、こんな事で別れ話にまで行きそうだったのだとか、本当に馬鹿らしすぎて。
怒りを覚える前に、もうどうしようもなく彼女が愛しくなった。
フンッとそっぽを向いてしまった彼女を、後ろからそっと抱きしめる。
不貞腐れているところも、可愛くって仕方ない。
「ね、咲夜さん」
耳元で、自分が出せる精一杯の優しい声で囁く。
「今度からは、容赦しませんからね?」
そうした後に、頬へとわざとチュッと音を立てて口付けを。
私の腕の中で耳まで真っ赤に染めるこの人は、かなりの照れ屋で奥手な人。
私の大事な大事な、恋人だ。
End.
2011.11.19. up.
第二回東方美咲祭参加作品
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