甘く染まる、



とろんとした潤んだ瞳で、そっとベッドの横に歩み寄った私を彼女が見つめてくる。
真っ赤に染まった頬。はぁはぁと熱を帯びた吐息。

「本当、あなたっておバカよね……」

意識の戻ったらしい彼女に、開口一番、ため息混じりのそんな言葉を投げつけた。
我ながら少々冷たかったかもしれないなんて思ったけれども、本音がぽろりとこぼれ落ちてしまったのだから仕方のない事であろう。

「うぅ……」

抗議したいのだろうけれども、どうやら上手い言葉が出てこないらしい彼女はただ唸るのみ。
なんだかそれが妙に可愛くて、もう少し意地悪してやりたい気分になったけれども、やめておいた。
これ以上病人をいじめるのは、ちょっと可哀想だし。

「ほら、氷嚢作ってきたわよ」

そっと額の汗を持ってきたタオルで拭ってから、そこにぽんと乗せてやる。
冷たかったのか、んっ、なんて声を弱々しく上げて、彼女はほんの少しだけ身体を震わせた。

「全く……風邪引いてるのに無理してウチに来たりするから倒れるのよ?本当、おバカ……」

つんっと頬をつついた指先に感じる熱は、いつもの彼女から感じる体温よりもずっと高い。
これはどうやら、結構な高熱が出ているようだ。

彼女がウチに来たのは、つい一時間ほど前の事だった。
いつも通りの時間に、いつもとは少し違う弱々しいノックの音。
少し警戒しながら開けたドアの先にいたのは、真っ赤な顔をしたままへにゃりと笑う魔理沙だった。
掠れた声で、よう、なんて挨拶したかと思えば、そのまま胸の中に魔理沙が倒れこんできた時は、何の冗談かと思ったものだ。

よくよく考えてみれば、この間この子は雨に打たれて帰ったんだっけ。
魔理沙の事だから、きっと冷えた身体を温めもせずにうろちょろしていたに違いないだろう。
昨日は元気そうにしていたから気づかなかったけれども、ずっと体調が悪かったのかもしれない。

「ありす……」

そんな事を考えていると、魔理沙の弱々しい声が聞こえてきた。
一生懸命にこちらを見ようと、閉じようとするまぶたに必死に堪えるする姿が、なんだか小さな子供みたいで可愛いな、なんて思ってしまう。

「いいからほら、ちゃんと寝てなさい」
「でも……」
「でもはいらない。病人はちゃんと休む。ほら、ちゃんと布団かけて」
「うー……」

ゆっくり休んで欲しいのに、魔理沙はなかなか寝付こうとしない。
まるで駄々をこねているようなその行動に、なんだか本当に小さな子供の相手をしているような気分になってきた。
はぁ、と大きなため息を一つ吐いて、魔理沙の今にも閉じてしまいそうな瞳を、きっと睨みつける。
いい機会だ。この子には一度、きちんと言い聞かせないとと思っていたところだったし。

「あのね、魔理沙。風邪を治すには、適度な栄養をとって、きちんと寝ておく事が大事なの。わかるでしょ?」
「……ああ」
「それなのにあなたは、寝ているどころか私の家まで無理して飛んできたんでしょ?それに、まともにご飯も食べてないはずよ」
「そんなこと……」
「そんなこと?なに?私間違ったこと言ったかしら?少なくとも、昨日私があなたの家に行った時には食料らしい食料はなかったはずよ?それとも、私が帰った後で買い出しにでも言ったのかしら?夜に?」
「……それは、その」
「あなたの嘘はもうお腹いっぱいよ。まったく、普段からきちんとしていれば一人きりでも困ったりしないのに」

私からの説教を受けて、何も言えずにしょんぼりと目を伏せる魔理沙。
なんだろう、なんだかすごく貴重なものを見ている気分。こんな魔理沙、滅多に見られないんじゃないだろうか?
でも、流石にこんな顔をされると罪悪感に似た何かを少しずつ感じてくるもので。

「……とりあえず今はきちんと寝ておきなさい」

説教は終わりにしてそろそろ退室しようと、踵を返す。

「あ……」

そんな私の様子に、魔理沙が小さく声を上げて身体を起こす気配がした。

「何?」
「いや、別に……」

振り向いてそう問えば、もごもごとそれだけ返して彼女は布団の中へと戻っていく。
そのまま数秒、魔理沙の方を見つめて。

「本当、おばか……」

魔理沙に聞こえないように小さく小さくそれだけ呟いて、部屋を後にした。


◆ ◆ ◆


私が次に魔理沙が寝ている寝室に訪れたのは、丁度昼時を過ぎた頃だった。

なるべく音を立てぬようにしながら静かにドアを開けて中の様子を伺えば、どうやら魔理沙はちゃんと寝ているようだ。
ほっと胸を撫で下ろし、部屋の隅に置いてあった椅子を持ってきてそのままそこに腰掛けた。

じっと、魔理沙の寝顔を見つめる。
荒い息を吐く姿を見ていると、なんだが無性に胸が苦しくなった。

わかっている。
本当におばかなのは、私の方だ。

なんで昨日、私は気づけなかったのだろう?
昨日気づけていれば、こんな事にはならなかったかもしれないのに。

きっと普段なら、魔理沙の異常に気づけていたはず。
それなのに気づけなかったのは、正直、昨日の私の精神状態は普通ではなかったからなのだ。

「好き、なのよね……」

ぽつりと呟いただけなのに、ぼんっと自分の顔が熱くなるのを感じる。思わず魔理沙の方から顔を逸らした。
失敗した。言葉にする事がこんなにも恥ずかしいことだなんて、思いもしなかった。

そう、どうやら私は魔理沙の事が好きらしいのだ。

その事を完全に認めさせられたのは、昨日の事。
しかもそれを指摘してきたのは、今目の前に横たわる魔理沙だったというおまけつき。

最初は、毎日のようにやってくる、面倒で図々しい来訪者、くらいの感覚だった。

一緒にお茶をし始めたのは、いつの頃からだっただろうか?
確かきっかけは、丁度私がお茶を淹れたタイミングであの子がやってきたことだった気がする。
ついでなんだからいいだろ?なんて言って、図々しく私の向かい側にでんと座ったのだ。
まあ、結局そこでお茶を出してしまった私も私だけれども。

魔理沙がおいしいと言ってくれたお茶菓子を作る機会が無意識に増えていったのは、いつの頃からだったろうか?
あーだこーだと文句を言う魔理沙にぎゃふんと言わせたくて、魔理沙が好きなものを覚える事に躍起になった。
気づいたらそれが楽しくなってしまっていた自分が、何よりも一番いけないんだろうけれども。

そんな風にしていたら、気づいた時には彼女専用のティーカップがひとつ、私のティーセットの中に増えていて。

それをきっかけにして、彼女の物が私の家に増えていく。
お皿、フォーク、スプーン、グラス、お茶碗、お箸……そんな風に一つずつ、彼女専用の食器が食器棚に並んでいった。
気づけば私の向かい側の席は彼女専用の席になり、彼女の持ってきたきのこや米びつが私の台所に居座るようになっていって。

リビングにいつのまにか置かれた、彼女専用の本棚。
何か走り書きしてあるメモや簡単な実験道具が乱雑に置かれた、彼女専用の小さな机。
今ではそれが視界に入る度に、なんだかふっと笑みが溢れるようになってしまった。

少しずつ、少しずつ、あの子の色に染まっていく自分の家。

最初の頃は自分の世界に入って来られる事が嫌で嫌で仕方なかったのに、いつの間にか許してしまっている自分がいた。

『もしかして、私の事好きなのか?』

昨日の魔理沙の一言が、自然と脳裏に浮かんでくる。
その言葉が、妙にすっぽりと自分の中にハマった。
そうして、私は魔理沙の事が好きなのだと自覚させられたのだった。

正直、それからの事はもうよく覚えていない。
家の片付けをしたり、魔理沙から飛びつかれたりしたような気がするけれど、正直いっぱいいっぱいでそれどころではなかった。

それが、私の敗因。
今回魔理沙の体調に全く気づけなかった、原因なのだ。

「……魔理沙がいけないのよ」

唐突に、あんな事を言うから。
……私に、自覚なんてさせるから。

そっと、頬に手を当てる。
手の平に感じる熱は、先程と大して変わらない熱さだった。

「早く、元気になってよね……」

こんな姿のあなたを、一秒でも長く見ていたくないの。

そんな思いをこめて、そのままそっと頬を撫でる。
心なしか、魔理沙の表情がほんの少しだけ和らいだような気がした。

「さて、と……」

十数分ほど、魔理沙の顔を眺めた後、椅子から腰を上げる。
いつまでもこうやって魔理沙の顔をみているわけにはいかないのだ。
おかゆでも作ってあげよう。少しでも何か栄養を取らなくては、治るものも治らない。
たまには魔理沙の持ってきた物も役に立つわね、なんて思いながら歩き出そうとしたら、不意に魔理沙から私の手を掴まれた。

「いっちゃうのか?」
「あ、あんた起きて……!」
「ひんやりして気持ちいい手をしてるお前がいけないんだ。あんまり心地良くて、起きちまった」

そんな魔理沙の言葉に、ほっと胸をなでおろす。
良かった、好きって言った部分は聞かれていなかったようだ。

「ひとの事を氷嚢替わりにしないの。もう少し寝てなさい。今、おかゆでも作ってくるわ」
「うー……今は何も食べたくないぜ……」
「ダメよ、少しでも何か食べなきゃ。ソレが嫌なら、永琳のところにでも連れて行きましょうか?」
「……おとなしくねてる」

どうやら先程よりは少し元気が出てきたようだ。魔理沙の口調が先程よりもずっとしっかりしている。
そのことに安心して、思わず笑みがこぼれた。このままきちんと休んでおけば、夕方にはある程度は熱が下がるかもしれない。

「……でも、やっぱりもう少しそばにいてほしい」

そんな事を言って、魔理沙が上目遣いでこちらを見つめてくる。
潤んだ瞳に、弱々しくてすこしかすれ気味の声。きゅっと私の手を握ったまま離さない、小さな手。
すごい破壊力だ。こんなの、卑怯すぎる。

「ば、ばか。何子供みたいなこと……」
「子供でいい。アリスがそばにいてくれるなら、今日だけは子供でいる」
「な……っ」

いつもは子供扱いされることをあんなに嫌うくせに、子供でもいいだなんて。
風邪をひくとこんなにも甘えん坊になるのか、こいつは。
呆れるはずなのに、なんだかそれが妙に愛おしく感じるのは、なぜなのか。
これが惚れた弱み、というものなんだろうか?
……いや、多分ちょっと違う気もする。

「なあ、アリス。寝付くまででいいからさ……ダメか?」

そんな風に可愛く言われたら、あなた。

「……寝付くまでよ?」

私が折れるしか、ないじゃないの。

大きなため息をついて、すとんと先程まで座っていた椅子に腰を下ろした。
おかゆは人形達に指示を出しておくことにしよう。できるだけ早く食べさせてあげたいし。

そんな事を考える私の様子を、じっと魔理沙は見つめている。
気づかない振りをしようとも思ったけれども、どうにもこうにも落ち着かなくて。
握られたままの左手が、なんだか汗ばんでいくような気がした。

「……なに?」

耐え切れなくなって、思わず口を開いた。
寝かせるつもりだったのに、わざわざ会話を振ってどうするのよって自分に突っ込んだけれども、まあ仕方のない事だろう。

「いや、なんていうかさ……」

魔理沙がへにゃりと、笑って、

「やっぱり、好きだなぁって思って……」

そんな事を、急に言うから。

「――っ!」

声を出すのも、息をするのも忘れて、その場で硬直した。

今、好きって、魔理沙が言った気がした。
魔理沙が今、好きって、私に――……!

どうしよう。
きっと、何か返事したほうがいいに決まっている。
でも、言葉がうまく、出てこない。

そんな風に私が大混乱している最中、急に左手を握っていた魔理沙の手から力が抜けていくのを感じた。
……まさか、この状況は。

「ま、まりさ?」
「ぅん?」
「あの、さっきの……」
「ん……」
「どういう意味……って……」
「………」

(あ、落ちた)

それと同時に、私の肩も落ちた。
この状況、このタイミングで寝るとか……ひどすぎるわよ、魔理沙。

とはいえ、先程の魔理沙の言葉だってよくよく考えれば別段意味を持たないものかもしれない。
好き、にだって沢山の意味があるわけで、それが必ずしも恋愛感情を意味するわけではない事なんて、ちゃんとわかっているのだ。

でも、それでも。

「私も『好き』よ、魔理沙……」

魔理沙のおかげですっかり甘く染められた私の心は、ついそんな言葉を魔理沙に落として。
ついでに一つ、魔理沙の赤く染まる頬にくちびるを落とした。

(さて、起きたらなんてからかってやろうかしら?)

そんな事を考えながら、手を解いてそそくさと台所へと向かう。

「ますます熱、上がるだろうが……」

だから私は、そんな言葉が部屋に響いたのには全く気づけなかったのだ。


少しずつ甘く染まっていく、私達の日々。
甘く甘く染められていく私の心が、完全にあなたの色に染まるまで、あと、少し。


END.


2012.6.16. up.

例大祭にて発行したコピ本『Rainy Day〜雨のち晴れ〜』に掲載、『甘い甘い雨よ、ふれ』の後日談的なもの。
『甘い甘い雨よ、ふれ』の本文は、小説メニューよりお探しください。


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